巻頭あいさつ 「日本の放射光における学術研究の在り方」
私は今年30周年を祝う日本放射光学会の19代目会長に選出されました。日本放射光学会はオールジャパンの組織ですので、本利用者懇談会の皆様にもよろしくお願いしたいと思います。私自身はPFの立ち上げに参加する前に、物性研が運営していた田無の小型リングで放射光実験の訓練を受けました。その後、物性研が独自リングを計画していた時代には本懇談会メンバーでした。当時はUVSOR施設の先が見えず、東大リング計画に夢を託していました。アウトステーション計画に変更になったときに本懇談会から抜け、UVSOR施設高度化の実現に集中しました。過去40年間、ずっと放射光と関わってきましたので、今、いろんなことが頭を駆け巡っています。
さて、過去の日本放射光学会長の出身母体を見ると、ほとんどが大規模施設のPFやSPring-8の関係者です。小規模施設の関係者は私以外では物性研の石井武比古先生(4代目)、分子研の井口洋夫先生(7代目)のお二人しかいません。学会創設期の最初の6、7年(8代目から学会長の任期は2年になった)を除いて日本の放射光は大規模施設が牽引してきたことを意味しているのだと思います。そういう中で今回、私が選ばれたのは、もしかしたら、大規模施設が何らかの問題を抱えるようになってきたことを意味しているのかも知れません。・・・などということを妄想しつつ、折角、機会を与えていただいたので、ここでは学会長という立場ではなかなか言えそうにないことを思いつくまま書いてみようと思います。
東京大学が自前の施設を持つことを断念して、SPring-8でのアウトステーション計画に切り替えたのは、英断であったと思います。放射光を利用する学術研究にとって最も重要なことは、世界的に競争力のあるビームラインで特徴ある開拓的研究を進めることだからです。自前の施設を持つことや利用者を増やすことを目的化するのはおかしいことです。他のところでやっていることを真似するのではなく、他から真似されるようなことをして学術研究を先導するのが、大学共同利用機関や大学附置の共同利用・共同研究拠点の本来の使命です。大学共同利用の名の下に、高価な装置を導入して大学の研究者を助けるという使命を未だに重視する人も多いかも知れませんが、今は共用法が適用される施設がその役目を果たすようになっています。また、科研費などで導入した高価な装置の共同利用化・共用化も始まっています。いずれにしても大学共同利用機関や共同利用・共同研究拠点が他のところでやっていることを真似するだけでは、世界から一歩も二歩も遅れるばかりです。
とかく放射光源の将来計画は大きくなりがちです。光源加速器の性能で競いがちですし、多くの研究者の声を集めている内に、身の丈を忘れて規模が大きくなり、そのことで実現可能性を失うという負のスパイラルに陥ってしまうことが多々あります。海外でうまく施設建設に成功しているのは1国に1施設だけ置くことで適度の規模になっているからだと思われます。ヨーロッパでは複数国が関わることでより大規模化にも成功しています。1国で複数施設を持つところは限られています。世界一になりたい中国は打てる手は何でも打つようになっています。一方、何でも世界一でないと気が済まないアメリカは放射光施設の重点化を図っていますが、少し無理している印象があります。ドイツはスピード感がなくなっていますが、その遅れはヨーロッパの他施設がカバーしているようです。
さて、日本はどうでしょうか。世界の放射光施設の2割近くがある日本は放射光の先進国と思われていた時期もありました。今や世界が次の段階に進んでいる中では、施設の数や利用者の数を自慢しても国際的にはどうでもいいことです。しかし、隣の芝が必ずしも青いわけではありません。コヒーレンス成分が増えた新たな放射光源の性能を引き出せる実験手法は限られており、決定版をまだ見いだせていないのが世界の現状です。既存の放射光源の性能を測定手法や検出器の開発を含めて最大限引き出すことができれば、かなりの分野で新光源は必要ありません。もちろん、新光源と予算があれば、既存施設で不可避の多体問題もなく、真っさらの状態でビームラインを新たに作ることができるようになる点は魅力的です。
標準的なビームラインは利用者が増える一方であり、国内施設が不足しているような印象を与えています。しかし、研究成果として決定的な役割を果たす不可欠なものに放射光がなっているかどうかは、それぞれの分野で正しく評価しなければなりません。そうは言っても大規模施設になるとあらゆる分野をカバーしなければなりません。その結果、研究の中身ではなく、利用者や論文数でしか、存在意義を示すことができなくなる危険が出てきます。一度作ったビームラインは利用者がいる限り、なかなかスクラップアンドビルドもできなくなります。本来、ビームラインの再構築は、ハード的な老朽化を待ってからやるものではなく、研究内容の陳腐化が理由でやるものです。中途半端な予算であれば、陳腐化した研究を続けるための老朽化対策に使われるだけで、折角の予算が活きません。そもそも世界を見渡しても、各ビームラインの見直し・再構築を計画的に執行できるような予算を確保できている大規模施設は、ひとつもありません。
光源加速器の寿命は30年を超えるでしょう。その中での開拓的な利用研究は10年程度の寿命しかありません。開拓的研究を行ってきた者が10年経って次に何をするか。利用拡大に向かうのか、新たな手法開発を始めるのか。後者には予算もビームラインのスクラップも必要であり、タイミングが合わないと多体問題は解消できません。光源加速器の寿命が30年を超える前提で、ビームライン開発10年、利用拡大10年のあとの施策を考えること、老朽化の前に潔く手を打つこと、が不可欠であると考えられます。人材育成も30年サイクルでは継承されません。20年サイクルに持っていくことが重要だと思われます(願わくば、2本の20年サイクル計画を10年ずらして)。
加速器建設コストは忘れるとして、ビームラインなどの装置1式のコストだけで考えると、放射光のコストは、中性子やミュオンより1桁、素粒子より2桁、少なくて済みます。個人研究では難しいですが、組織ベースでは何とかなる範囲です。否、何とかなったのは法人化までであり、法人化後は年々難しくなっており、新たな戦略を練る必要があります。他方、中性子やミュオンのビームラインは出口志向が不可欠な外部資金に頼っています。素粒子の装置は学術研究しかあり得なく、予算規模からも国際連携によって解決する道しかありませんが、自前の施設に拘る必要もないのが特徴になっています。これらを参考にしつつ、近く共用法の施設として実現するであろう3GeVリングでの学術研究の進め方はよくよく考える必要があると思われます。